僕というストーリー

「のり」の物書きブログ

日本列島で合理化政策

日本列島のど真ん中で、黄色い髪をした少年は兄の死を世界で最も悲しんだ1人である。少年が慕っていた最愛の兄であったから当然だ。

少年の兄は不自由でありながらも、とにかく優しくて秀才であった。人間性にも優れていて世界各地に友達がいた。不自由は兄を自由にさせコンプレックスを忘れさせる。それを知った政府の中枢は少年の兄を嫉妬した。

兄は政府に知能を奪われて殺されたのだ。少年には何のために兄が殺されたのか理解できない。単に障害で不自由な兄であったのは確かだ。でも、身体障害者というだけで殺された訳でないのも確かだった。

少年は悩みに悩んだ末に重い口を開き、兄が殺された理由を父に聞いた。

「どうして兄さんは殺されたの?」

「自由だからさ」と少年の父は悲そうな顔をしていた。

少年は言葉にしなくても父のセリフの真意が理解できた。少年は不条理な政府を強く恨んだ。政府を歯向かうことは死を意味するのだ。もちろん兄のためなら死ねる覚悟がある。

日々が流れて少年の決意は消え去っていた。父は政府を警戒しつつひそかに少年の記憶を復元させる。眠っていた兄への思いを取り戻したのだ。

時代はいく度も繰り返されていく。時代遅れと流行が常に目まぐるしく交錯する。今はまさしく未来の途中。西暦2112年にして未だに世は究極なる斜陽だ。

日本は中国、アメリカ、ロシア、ユーロ圏の言いなりのまま、あらゆる世界の合理化政策を取り入れた。もちろん人などの命までも合理化の対象になっているのだ。

今の日本は健常者でも生産能力のない者には再教育をさせずに殺す。不自由な者も社会から徹底的に抹殺した。過去に倫理的にも合法であった胎内治療や遺伝子治療も廃止された。その中で負の遺伝子を消し去ることを取り組む。現在の世界は、それはまるで時に忘れ去られた、あのナチスが行った断種法のようであった。

障害者を区分して生死を管理する。つまり生死管理。区分の仕方は知的障害でも労働さえできれば命は生かされる。労働が不可能の者には、忌まわしい死が待っているのだ。

生死管理について世論は政府を反対し、マスコミも使えるだけのメディアで四六時中、批判を続けた。

不思議だが子供は合理化政策を賛成する。つまりマインドコントロールされているからだ。子供を操るのは政府にはたやすいこと。それでもマインドコントロールを奇跡的に免れた少年たちがいることが、この社会の幸せであった。

青年は兄の知能チップを懸命に探していたのだ。兄の知能チップを手に入れるには、セキュリティ管理が完璧である政府サーバーのプログラムを操る必要があった。

兄のチップは政府を動かせる唯一のチップである。少年にはチップを手に入れることは政府の機能を全滅させられると知っていた。もちろん兄の知能が死ぬことも分かっているのだ。だからこそ悩んでいる。

闇社会には政府を全滅させる技術はあった。海外から政府サーバーをダウンさせる方がリスクは少ない。サーバーがダウンすれば日本列島が沈没するからである。

青年は分かっていた。何事も合理化政策であるてことを……。