僕というストーリー

「のり」の物書きブログ

サヨナラ世界、ヨロシク天国

「僕の世界は収縮している。まるで鳥籠みたいで窮屈だ」

今の生活には自由なんか感じない。ベッドでパソコンをしてネットと創作する。こんな暮らしに満足なんかあり得ない。ただ生きて延命にいそしむよりも死ぬ方が人間らしいと思う。

プライバシーがないからパソコンに色々とため込み秘密を作る。ナースたちに知られないようにくだらない思想をつづるのだ。思いを口にしない限り安心である。誰も干渉などできないからだ。

僕にはケアが必要。パソコンでは自由なのにケアをされるのは疲れる。ナースたちに僕の恥部を見られていると思うだけで屈辱に感じる。生きている限り僕は恥部を見られ続けるのだ。見られ続けているが一向に慣れないないし屈辱に感じることは生涯消えないだろう。羞恥心なら良いが屈辱に感じるのだから僕の根性が腐っている。

「ありがとう」

表向きは感謝するが本音を言えば疲れる。ナースたちは仕事である。なのに素直に「ありがとう」と言う患者にはなりたくない。1つ1つのケアに感謝していたら「ありがとう」の値打ちが下がる。

生きている限り逃れられないことがある。死ぬまでに僕は幾つもの苦難と戦い生きていくのだ。人からすれば甘い苦難であっても僕には厳しいもの。恥部を見られるうんぬんよりも試練は僕を待っている。それはオナニーができないよりも耐え難い試練だ。

オナニーはしなくても死なない。けど夢精は死ぬほど恥ずかしいものだ。見られる夢に夢精するなら健全だと思うが僕はオッサンである。死ぬまで童貞男をつらぬくしかないのに射精する能力があるのは馬鹿らしい。

鳥籠でパソコンモニターを眺めて世の中を知る。フロー情報に一喜一憂してナースと話して悲しくなる。単なる情報を自分なりのストック情報にして何かを経験したつもりになる虚無感。世間知らずゆえの勘違いに生きた心地がしない。アスファルトにある世の中の本質を知らずに生きていく自分が嫌いだ。

僕は彼女がいないから「サヨナラ世界」と言って心中はできない。サヨナラできない試練がある限り「ヨロシク天国」とは言えない。

「サヨナラ世界、ヨロシク天国」なんて絶対に成り立たない。下手すれば死なないかもしれない。もしかすると僕は不老不死というあり得ないものを手に入れた気がする。僕は死なないから「サヨナラ世界、ヨロシク天国」なんだ。

「笑いたいなら笑ってくれよ」

それでは、さようなら。