僕というストーリー

「のり」の物書きブログ

煩う

生きることは迷路を歩くようだ。一つの仕草にしても何通りもあり些細な行動にも迷う。視線のやり場や言葉を選ぶときの辛さ。存在も迷いの対象にする彼は人の存在まで迷いとなる。そもそも彼は何事にも疑問にすべき過去の持ち主だ。自分を否定することも性格の一部になっている。

彼は光也。自閉症で人との会話ができないほど、言葉の理解が困難である。彼の家族も彼に合わすことなく会話をするので、家にいても安らげないらしい。僕は彼の寂しそうな視線や仕草に悲しい思いで一杯である。彼は言葉じゃなく感性で物事を理解して、僕を興味深く眺めている。僕が彼に哀れみを感じているのが分かった。

ある日、彼は僕の家の庭で緋鯉を眺めていた。恐る恐る歩み寄りながら僕が声を掛ける。

「光也くんだね。色とりどりで綺麗だろう?」と微笑み尋ねる。

彼は視線を反らし警戒心を露わにして頷く。

昔、僕と彼の兄、彼と三人で隣街のデパートに行ったことがある。全く知らない訳ではない。もちろん彼は僕と僕の家を鮮明に記憶していた。僕の家へ辿り着くのは彼には容易ではない。

何度も彼が僕の家に訪れるから、僕の親が彼の親に注意を促している。僕と妹で彼のことを理解させるために説得した。もちろん嘘を織り交ぜながら不審な行動に見えないようにして。でも、彼が二枚目で長身だったから、妹は自閉症のことが分からず、神秘のベールのようなものに包まれていると言う。

雨の中、彼は傘を差さず歩いてる。通りかかった妹は、彼を心配して家へ連れてきた。僕は最初、ずぶ濡れの彼を妹の彼と間違った。よく見ると光也くんである。少し様子が違ったので、小言で妹の問い掛けに応えていた。彼の兄には、彼は何も喋れないと聞かされていたが喋っている。それで僕は違和感を覚えた。

夢だと思いたい。なければ許せる範囲を超えてしまう。彼の行動は妹を惹きつけるための手段と思った。あんな奴は同情されながら身を守るしかできない。もしかして妹に依存するつもりなのか。彼の寂しさを埋める行為だと妹に教えないと。

僕は彼を妹から遠ざけたくて嘘をついた。

「光也くんは、飢えてるんだよ。あの芝居も計算によるもの。のぞみの優しさを求めているんだ。いつ豹変してお前を襲ってもおかしくない」

のぞみは笑いながら言う、「馬鹿げてるよ。光也くんは兄さんと違い純粋なんだよ。そんな訳ない、兄さんの言ってることは狂ってる」と。

僕は「狂ってないさ。ただ、喋れない奴って不気味だから心配なんだよ」と差別する発言をした。

親には彼への理解を求めたが彼の家族とは関わりたくない。のぞみが僕の言葉を鵜呑みにするから矛盾しているようになる。彼の兄との関係が、悪いからこそ言いたい。当然、のぞみはらないが、僕は幼い頃の彼を、よく知っている。怯えながら知らない間に、どこかへ姿をくらます。何よりも喋っている所を見たことがない。

彼と会話を試みたいと思った矢先、彼がのぞみを訪ねてきた。以前のような怪しい訪れ方ではないが少しばかり不気味に感じる。丁度、良い具合にのぞみが出掛けているから喋れるチャンスだ。

「光也くん。何の用か聞かせてくれないか」

すると彼は何の躊躇もなく、こう答えた。

「のぞみさんに会いに来たんだ。一応、前のお礼と思って」

彼が人間らしくなった印象を受けて誰でも成長すると分かる。嬉しい反面、怒りを感じながら、自分が同情される存在と彼が思っていると推測した。

のぞみに彼が家に訪ねてきたことを伝えた。するとのぞみは微笑んで言う。

「何の用が分かる? お礼だよ。もっと早く帰宅すれば良かった」と。僕には彼の魅力が分からない。知らなければのぞみが遠ざかって行くように思った。のぞみが彼と恋人になれば、家族が辱められる。友でもない彼の兄に分からせるために説得をすることにした。

家に訪ねてきた彼に、彼の兄の居場所を唐突に尋ねる。彼は答えた。

「兄は僕を嫌っている。もちろん僕も兄を嫌っている」

彼が受け応えができるので信じられない。仕方なく彼の家を訪ねた。

彼の兄は夕方に帰宅。向こうから僕に声を掛けてきた。

「久しぶりだな」

彼がのぞみに会いに来ていることを伝える。彼の兄は黙認しているようで関係ないような様子だ。早いこと、彼の関係を絶ちたいから、のぞみを彼から離したいと伝えるしかない。

「光也が迷惑なんだよ。まだ、のぞみには何も聞いていないが」

彼の兄は「分かった。伝えておくよ。でも、最近のアイツは、手に負えない。反論するし、手が出て俺が痛い思いをするけど……。まあ、伝えるから」と言う。

僕は、あの兄弟を警戒していた。付き合わせるにも兄として許せない。もしかして彼の兄はのぞみを惹きつけるために彼を利用しているとも思う。あれこれ思い巡らせているうちに僕は深く怒りを覚えた。それに彼の兄は昔はよく妹と遊んでくれたけど今は妹を彼女にしたいと目論んでいるはず。

のぞみは、あの兄弟が好きで会わないと気が済まないようだ。彼には何回も会っていて彼の兄が狙いである。しかし、彼は自分が好かれていると思っていた。

彼は厚意をうまく理解できないけれど、のぞみの優しさで笑顔を覚えたようだ。会うたびに感情が豊かになったと喜びながらのぞみが話す。

翌日、のぞみと彼がやって来た。ちらっと見て少しばかり笑顔を浮かべた彼に立腹する。

僕からすれば意志を持ち人のように振る舞うのは彼には似合わない。もちろん彼には恋愛感情を持つこと自体、贅沢だと思う。これらの思いを彼にぶちまけたいと思ったが、僕には迷いがあり、なかなか、ぶちまけられなかった。

道端で鉢合わせになり、僕は彼に衝動的に思いをぶちまけた。

「あのさ、お前は何か勘違いしてないか? お前にのぞみは好意がない。あの優しさは同情なんだ。あれは哀れみなんだ。はっきり言って迷惑。消えてくれ!」

彼は、おどおどしながら耳の穴に指を突っ込む。座り込み声を出さずに泣いている。その姿に心で笑う。もちろん顔では平静を保ったが、罪の意識もある。実は、彼の弱さに同情もあったが許せないほどの怒りもあった。気持ちが複雑だったが妹と恋愛関係になるのを阻止したかった。

気が晴らせず、彼を泣かしたまま、その場を去る。

彼はのぞみに会い続けた。僕は彼に出会うたびに同じことを繰り返して言った。動じる様子もない。理解しているように感じたが、何故、聞き流せるのか知りたい。

見ている限り彼はのぞみに弱さを見せたくない思いがあり、厚意を受けるために努力をしている感じだ。

とうとうのぞみの前で答えにくいことを彼に言った。

「お前はのぞみの何? 今ここで言ってみろよ」と。

一瞬、彼は呆然として言葉を探すように窓の外を眺めた。それを見てのぞみは言う。

「兄さんは、何が言いたいの? 関係に邪魔する権利があるの?」

僕はセリフが見付からない。

僕は黙り、その場を去った。もちろん彼も、その場を去る。その後、彼とのぞみは会うことが減った。僕を黙らせるために会うのを控えたようだ。相当きついセリフになった。のぞみが彼の話し相手であった。誰一人、彼を相手にしないから、結局、のぞみを頼るしかない。答えは簡単なものだ。

「のぞみさんは唯一の話し相手。それ以上のことは望んでいない。僕は自分を知っているから迷惑を掛けたくない」

答えはある程度、予測はしたが、そんな思いだけではないはず。でも、彼の表現力を期待していない、信じてもいない。

冷静に自分を見ている彼を疑った。成長すればするほど人は煩ってしまう。彼とのぞみとの関係に違和感があり、どこか普通の友達ではない。それから僕の中で彼への同情が芽生える。煩えば僕の怒りは和らぐから、結局、彼らを見守るだけで何もできない。それにしても煩いは贅沢な感情かもしれない。人間としての当然の感情は僕にはない。僕は彼より病んでいる。煩いこそ彼の性格、兄弟への企みも意味がなくなった。