脱・思い込み宣言
朝の日差しが優しき照明となる、ああ、自然は尊き。
永遠よりも刹那が美しいのは、まさしく、今このときを得るからだ。
無意味なるものが混在しているなら、根こそぎ、無意味を取り除くべきである。
無意味さは確かに無意味さだけど、たまには無意味に甘えるのも良いだろう。
何気に詩のようなものを書いたが、尊さがすべてでないといってみただけである。美しいや醜さを受け入れながら生きるのが人間のすごみ。
僕は目に映るものが美しくても、もしかすると僕の錯覚だと思えるときがある。多分、心が汚れているのだろう、と納得もするが、何もかもが自分勝手な思い込みで、そのような自分を演じているだけかもしれない。