僕というストーリー

「のり」の物書きブログ

物書きのつもりなら頭を使うべきと自分にいいたい

寡黙に作業をしていると時間を忘れてしまう。2、30分だけでも集中するのも決して悪くない。僕は何かに没頭していても頭が空っぽのようだ。単純作業しかしないから思考しなくて良いってことだろう。しかし、何も考えないことは辛くて、むしろ苦痛すぎる。

文章を書くことは、それなり頭を使う。とはいえ、だらだらと似たような内容の文章を書くのに頭などいらない、極端なことをいえば目を閉じていても文章は書けてしまう。まあ、目を閉じては無理だけど、理想はランニングのような運動をして心身ともに気持ち良くなりたい。とにかく集中しながら思考の引き出しを開け閉めして、ライター気取りから抜け出してみたい。

僕のような頭を使わない物書きは珍しい。特に僕の文章には具体例というものがないのだ。本当に漠然なことしか書かない物書きは無能ともいえる。物書きは、ある意味クリエイターであって、知的な作業の代名詞だと思う。だから物書きには単純作業は禁物である。

武器としての書く技術 (中経出版)

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