僕というストーリー

「のり」の物書きブログ

ある彼の絶筆

すばらしい秋日和。通い慣れたコンビニで弁当を買い、公園の噴水前でベンチに腰をおろした。四冊の手記を読みながら食べ、「依然とした自分を発見した」と笑みを浮かべる。

目の前で戯れている子供たちも、僕と同じように親不孝な人間になるのか。人を占うのはむなしい。家族の光景を見ながら、子供が持っている風船に詰まったものを空想した。 二、三年、家族とはぐれて僕は暮らしている。過言だが本当だ。親に反抗して生きていけるのは意志を貫いているからだ。

僕自身を更正させたいが更正を知らないまま街に生きていくのか。何かに属すのは困難だから孤独から抜け出せない。昨日の道はなく明日の道があり、人生には台本が存在しているはず。

ここ一か月、精神が病んでいる気がする。この街で僕は変貌した。懐古な思いが氾濫しているからだろう。家族のルールを破ったことが忘れられない。

ビジネス街のビルの谷間にある、この公園は心細い。自分のように思うと徐々に嫌悪感で弁当が不味くなった。遠くを眺める。街の鼓動やクラクション、幾つもの雑音を聴きながら、ゴミ箱に歩み寄り、弁当箱を捨てた。

休日に満足していられるのは、僕に平穏があるからだ。人並みに生きているから卑屈が死語になった錯覚になる。

明日から仕事が始まると公園で嘆いている。たまに過去の自分になり、この暮らしから逃げて子供になりたい。金が生活の大半が占めているから弱音は吐けない。仕事をするしかないのだ。 「人間は骨身を削り働くのが好ましい」と誓い、ベンチから立ち上がった。

アパートまでの家路で、家族のこと、仕事のことが頭に浮かぶ。僕にとって人生を問うのが生きることにつながる。今度こそは退廃から抜け出そう。新たな自分を探すのが目標である。まだ黄昏が美しいと思える気力がある。償えるだけの体力が自分にはある。

懐古に浸り過去を探るために人生の物語を洗いざらいに述懐する。両親を安心させたいから一心でつづりたい。筆無精である自分から逃れるために、過去を探ると決心した。

家族の絆を取り戻すアイディアが、二十分ある家路で浮かんだ。実現させたいが引っかかることがある。それは学生時代から現在まで真剣にペンを握った記憶はない。殴り書きの手記をちゃぶ台に置き、眺めながら体内に潜り、勇気を模索するのだ。

全身全霊で告白したい。これからのポリシーにしたいから、諦めを投げ捨てて意地でもつづりたい。今いろいろな観念が僕の心で野獣に化けてほえている。まるで苦悩しているようだ。

欲張りに……。野蛮に……。本能のまま自分を告白することが良いだろう。

街が明かりに彩られた頃、眠気が襲ってくる。この夜は早く眠った。月明かりが照る前に寝るのは『秋の夜長』と異なるが良いだろう。明日の仕事が待っているから朝を迎えたときに考えよう。

この日の朝食は、パン、目玉焼き、コーヒーである。得意な料理は焼き飯と焼きそば。低俗なメニューばかり。いつも食事を簡単にすますから、独り暮らしは不健康になる。毎日の昼食はパートたちに恵んでもらっているが、甘んじてる訳でもない。もちろん乞食にもなりたくないが、僕への優しさであるから有り難く弁当を頂いている。

出勤は毎朝七時。徒歩で三十分かかるスーパーで働いている。僕の担当は売場ごとに荷物を仕分けることだ。少ない金のために汗をかいている。

倉庫付近に止められているトラックからの排気ガスに耐えながら荷物を移す。機械仕掛けのように。必死に挨拶を忘れずにする。礼儀であるからだ。社会の一員になるには不可欠なこと。こんな僕でも人に話せることがある。労働とは、生活するための金ではなく、社会と調和することが人生に喜びを与えるのだ。

郷里を離れて二、三年。成長をした。背伸びにも限界がある。もし限界がなければ妥協はない。明日に自分を委ねる自分が見えるだろう。むなしさから逃れるためには、あらゆる観念を呼び起こして明日を払う試みが必要である。それは人生の悲劇であるからだ。