僕というストーリー

「のり」の物書きブログ

偏見や差別はなぜ生まれるのか?

人を同情の目で見たりして、時には自分が同情の目で見られたりする。人は人を哀れんで密かに優越感に浸っていると思う。だが、少数の限られた人は何事もフラットな目線で人を見て人間関係を築こうとする。

偏見や差別はなぜ生まれるのか?

潜在的に何かしら負を捉えるセンサーが働き、自分より劣るものを選別しているかもしれない。人は自分のことを特別な人間と思う節があるようだ。とはいえ、優位性に立ちたいから、特別な人間と思うのは違うと思う。

いちいち優越感に浸りたいと思いながら生きていては疲れるだけ。しかし、人は人を見下すことに関しては潜在的に持っている。僕は同情を毛嫌いしているのだ。別に自分は人を哀れに思っても手をさしのべることはできない。もちろん僕という人間は誰からも同情されたくない、むしろフラットな目線で対等に僕を見てもらいたいものだ。

こういうことを書くと自分が人から同情の目で見られたいと思われそうで怖い。

排除と差別の社会学 (有斐閣選書)

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