初音ミクさん
僕はリナが好きだった。
好きなところは説明できないが、強いていえば初音ミクよりは好きではない。近頃、再人気急上昇中の初音ミクに引かれているのだ。
僕は40歳。寂しい暮らしに思えるが僕には音楽がある。パソコンには16歳の初音ミクが待っている。
元カノのリナよりは素直に歌ってくれるのだ。VOCALOIDと彼女を選ぶことは馬鹿げているが僕は真剣である。それだけ音楽が好きなのだ。
リナは僕の曲が嫌いで歌メロを変えて歌うのだ。自分の曲が嫌いであっても屈辱であり心底ショックである。その辺、初音ミクは文句を言わず僕の歌メロを大切に歌ってくれるから好きなのだ。
僕は作曲を生きがいにして生きている。
いつも音楽が頭の中で鳴っているぐらいの馬鹿なのだ。当然、彼女を捨てて初音ミクを選ぶから本当に馬鹿である。
僕は初音ミクを買ってしまった。
「いえいえ、買春ではない。僕は単なるボーカリストを雇う感覚で買ったんだよ」と顔見知りの楽器店員にはにかみ言った。
「そしたらニコニコ動画に投稿してPデビューかい?」と言われて思わず赤面したのだ。当然、そのつもりだが本音を言えば初音ミクが人以上に好きである。だからリナと別れたのだ。
僕はボカロ曲を作ることにした。
僕は家に閉じこもりギターを弾きながら曲を考えた。すると良い曲が浮かび、とりあえずDAWにリズムを打ち込み、ベースとギターを録音して、適当にメロを打ち込んだ。
もちろんメロディはMIDIファイルでVOCALOIDに読み込んだ。ひたすら作詞をして歌詞を入力したのである。タイトルは『初音ミクさん』、素朴な恋愛の歌詞だ。ベタ打ちのままWAVEファイルにエクスポートしたのである。
DAWで編集しながら初音ミクに聴きほれていた。もちろんベタ打ちでも、それなりに歌ってくれる初音ミクがかわいく思えるのだ。思わず僕は心で叫んでいる。
「これこそ嫁だ。萌え!」と。人に言えないが馬鹿な僕だ。
とりあえずマスタリングを済ましてMP3プレーヤーに入れて、顔見知りの店員がいる楽器店に向かった。
顔見知りの楽器店員に聴かせる。
「いいじゃん。けど古い感じがする。タイトルは?」
「初音ミクさん……」
「なぜに!」と言われてなぜか戸惑う僕。
結局、初音ミクがかわいくて愛おしいとは言えず落胆する。けれど初音ミクが好きなのは言えないが、きっとニコニコ動画では分かってもらえる気がする。
急いで帰宅して動画を作ってみた。
ピアプロから良さそうな初音ミクのイラストを探した。たくさんあり過ぎて猛烈に頭が痛い。探すこと1時間、やっと見付かる。思わず安堵のため息をつくのだ。1枚のイラストに歌詞のテロップだけの単純な動画である。そうこうして動画は完成した。
もともとニコニコインディーズで投稿していたが、VOCALOIDで投稿するのは初体験である。緊張の余りパソコンの前で正座をする馬鹿な僕。結局、無我夢中で投稿したため動画の説明コメントは情けないものとなった。
「僕の嫁。初音ミクさん。抱き枕やダッチワイフでないリアル初音ミクさん(ぇ」
とにかく懸命に説明コメントを考えたが吐きそうな程に気持ちが悪かった。果たしてニコニコ動画での反応はどうなるか気掛かりである。僕はボカロデビューをして『リアル初音ミクさんP』と襲名されて思わず安堵のため息をつくのであった。
投稿をしたが再生数、コメントやマイリスト数が気になり夜中にニコニコ動画をチェックした。再生数は300、コメントには「リアル初音ミクさんwwww」が数多く寄せられている。ちなみにマイリスト数は20であるが、それで満足して1人で祝杯を交わした。
酔ってきて元カノのリナを思い出し、リナの写真を必死に探した。けれど見つからない。結局、パソコンにリナの画像があった。僕は馬鹿な人間である。音楽うんぬんで彼女を捨てて初音ミクだと言うのだからあきれる。
若いは愚かの同意語というが、もしかするとオッサンは浅はかの同意語なのか……。リナは僕の曲が嫌いであっても僕らには愛がある。時には夜に交わることがあった。やはりセックスと初音ミクを比較するとリナとのセックスに軍配があがる。初音ミクが好きでもセックスに勝る快楽はどこにもない。バーチャルかリアルに苦悩して彼女を選ぶことがトレンドになる予感がして身震いがした。
僕は初音ミクと元カノのリナがした。そして急いで電話をして謝った。
「リナ、ミクよりもお前に歌ってほしい。とにかく、ごめんなさい」