僕というストーリー

「のり」の物書きブログ

痛いナースはオッサン女

痛いナースはかなりいるがオッサン女はトップクラスだ。本物のオッサンよりもオッサンでパチンコが好きらしい。髪の結い方から堕落を醸し出す。髪をさわりながら、キョロキョロして落ち着きがない。やたらと声が大きく言葉使いに品格がなく口だけのナースである。

『前代未聞の痛いオッサン女だ』

僕は長期入院をしているので多くのナースを知っている。僕からすれば口だけのナースほど痛いものはない。適当で、ある意味、給与泥棒だろう。仕方がないと思うが痛いナースには接遇なんか兼ね備えていないようだ。

僕は痛いナースのしゃべり方に恐怖を覚えてしまう。不安になって心優しいナースにソラナックスを飲ましてもらう。即効性はないものの、すぐに不安感が消え去っていく感覚が心地良い。虐げられている子供が安心感を得たように笑みがあふれる。

病棟には色んなナースがいる。主はフラットな関係のナースや対峙し合うしかないナースぐらい。僕はナースたちの仕草に気になる質である。もちろん言動にも敏感であり聞き逃がさない。特に理不尽な言葉には本気に指摘して口論も辞さない構えだ。今の時世、ナースに正直に指摘すると下手すればモンスターペイシェントになる恐れがある。

僕には、それなりに人としての誠意がある。誠意がない適当な痛いナースとは大違いだ。近頃のナースは患者に対して一定の距離感を作り出して横のつながりを大切にする。まあ、患者としてはナースたちで派閥を作っていないのであれば、それなりに助かる。

痛いオッサン女ナースは異動でやってきた。初めて言われたセリフはよく覚えている。

「怒っても良いからいろいろと教えてね」と優しそうに言ってくれた。僕のケアに関して覚えないし同期のナースに注意をされても逃げる。とにかく僕には信じられないナースであった。とことん落胆して真剣に頭痛がして心優しいナースにカノラールを飲ましてもらった。カノラールは甘くてとてもすっきりした気持ちになったことを思い出す。

僕は知っている。痛いナースは仕事や人間性にも自信がないから適当なことを言う。何事にもナースや患者を味方にさせる。本音を言ってもらえない者を味方と思う極度な勘違いナース。僕から言わせれば甘い思考の持ち主だと思う。

とにかく痛い。痛いから痛いナース。僕を頭痛にさせるから痛いナース。痛いに関して解釈の仕方は色々とある。誠意がないから『痛い』と言うのは痛いナースにはもったいない。『痛い』の言葉に申し訳がないと思う。

僕は痛いナースには精神をすり減らした。師長にも何度も申し出た。もちろん「お前、馬鹿か」て言われたときも相談した。馬鹿に関しては改善したが、その他は一向に改善はなく師長からは「諦めてほしい」と言われる始末である。もちろんナースは人間。もちろん患者も人間。注意をされても人である限りポリシーはまげず非は認めないものだ。生きている限り人としての振る舞いは、しっかりと持ち続けていきたい。

「生きているから痛いものである。だから、痛いナースはオッサン女だ」と言いたい。